『パプリカ』感想

『パプリカ』

2006年公開

監督:今敏

 

時をかける少女」の筒井康隆による同名SF小説を「千年女優」「東京ゴッドファーザーズ」のアニメーション監督今敏が映画化。表の顔は精神医療研究所に勤めるセラピー機器の研究者、裏の顔は“パプリカ”というコードネームを持つセラピスト千葉敦子は他人の夢をスキャンすることが出来るというセラピー機器“DCミニ”を使い、日々患者の迷える心をケアしていた。だがある日、その“DCミニ”が何者かによって盗まれてしまう……。

「映画.com」パプリカ : 作品情報 - 映画.com (eiga.com)

 

 

ずっと気になっていた『パプリカ』がなんとNetflixで観れることを知り、勢いで見始めた。

(これ、VPNがイタリアだから観れたのか?)

 

序盤で感じたのは、『インセプション』と似たような設定なのか?ということ。

夢の世界に入り込んで、操作する。

人の夢に入ることができる。

インセプションでは「階層」があったが、そういうのはなさそうで、

あくまで夢を共有できる・操作できる、という点が類似していた。

 

 

今回テーマの一つである「夢」

夢ってそもそもいろんな種類があると思うんですが、

今回の夢は「怖いもの」としてとらえてもらう必要がある。

ホラー要素満載の暗い感じで怖さの演出っていうのはあまりに単調すぎるけど、

逆に色鮮やかに描くことで怖いというより不気味さを演出しているのはさすがという感じ。

(鮮やか怖いといえば『ミッドサマー』)

 

夢の世界を色鮮やかに、かつ「昔の日本」的要素をふんだんに盛り込んで、不気味さを増強させている。

なんで昔のものって怖く感じるんでしょうね?

物に感情が宿る、過去関わっていた人の感情が残る、、、

なんとも不思議ですね。

 

さらに不気味さをプラスしているのが、平沢進の音楽ですよね。

弟が平沢進好きなので、曲調とか雰囲気はなんとなく掴んでいたんですが、

なんであんなに映画とマッチするんでしょう?

曲全体の上辺の印象はマーチングの明るさがあったり、「何か」が盛り上がっている感じがする。

けど、どこかに狂気を感じる。

なんとなく見ちゃう、癖になる、そういう怖さを含んでいるのが怖い。

 

 

登場人物に目を向けると、パプリカが主役となるけど、

パプリカはどのようにして生まれたのか。

夢の世界でも自分は自分、もしくは自分的要素を残した何かになっているのに対して、

パプリカは「パプリカ」で、現実世界の誰とも共通点がない。

となると、潜在意識を自分として捉えて夢で表現することができるのか。

「なりたい自分」も自分なのか。

正直一回見ただけでは(私の知識量では)あまりに理解が及ばない。

 

もう一つ理解が及ばなかったことがあって、

DCミニが奪われた、ということは奪った犯人(黒幕)がいるわけですが、

最後まで見てもその目的が判然としない、というか、

フィクションではあまりに平凡な理由だったんですよね。

(平凡ってことは分かりやすくてとっつきやすいという利点があるにせよ)

この作品において、そんなありきたりでいいのか?もっと他にあるはずだよな?と

懐疑的にならざるを得ない。

 

「一回じゃ分からないかも~でも面白いよ~」という友人からの事前情報があったし、

もう何年も小難しいことを考える道を避けているので、

セリフの言い回しが難解だった部分も多かったし、知らないうちにいろんな伏線が張られていただろうことは承知の上で、

やはり一回見ただけではダメなのか…という気持ちになった。

 

だからこそ、何回も見たくなる映画なんだろうな。

これ劇場に足を運ばないと見れない状況下だったら、足繫く通ってしまうかも。

まんまといろんな罠に嵌ってそうですね。

 

 

こんな単純な感想しか出てこないので、好きなセリフをひとつ。

いつでも自分が正しいわけじゃないでしょ。」

 

自分が考えていることが、いつでも正解とは限らない。

それはそうだよね。

じゃあ、いま自分が見ている世界も本当に正しいのかな?

もしかしたら、夢だったりして。